■猿鬼伝説
仁行(にぎょう)の猿尾谷(さるおだに)に、猿鬼と呼ばれる怪物がすんでいた。もともとは、西山の釜ケ谷にすんでいたのだが、この地にやってきて、十八匹の家来とともに古屋谷にある高さ三十丈の大杉にのぼってあたりをにらんでいた。そうして、村人の作物を盗んだり、娘をかどわかしたりして暴れ回っていた。(中略)
猿鬼の悪行を憂えられたのは、三井大幡の神杉姫(かんすぎひめ)の神。そこで、出雲の大社で八百万(やおよろず)の神々に訴えて猿鬼退治の軍をつくってもらったがやと。
大将は、能登一ノ宮の気多大明神。副将は、神杉姫。それに、能登のあちこちの神々があとに続いた。
猿鬼たちは、当目(とうめ)の岩屋堂(いわやど)に閉じこもっていた。そこで、神杉姫が十二単衣を着て「お猿、お猿」と呼んだ。すると、「おう、きれいな娘やな」と、猿鬼どもが出てきたので、神様たちは急いで数千の矢を射った。ところが、猿鬼どもは、その矢を一本残らずつかみとっては神々の方へ投げ返したと。
仕方なく神々はひとまず稲舟(いなふね)の海岸まで退いた。さて、どうしたものかと、神杉姫が悩んでいると波の間から不思議な歌声が聞こえてきた。
「千反の 布に身を巻き 筒の矢を 射させたまえや 神杉の姫」(中略)
不思議な歌に教えられた神杉姫は、神々と岩屋堂の前に戻ると、千反の白布をからだに巻いて、舞を踊ったのだと。
「なにごとや」と出てきた猿鬼どもに目がけて、神々は筒矢を射かけた。「なんや、こんなもん」猿鬼の大将が筒矢をつかんだ。すると、筒の中の矢が飛び出し、猿鬼の目に当たった。おどろいて逃げ出すところを、神杉姫が切り倒した。家来の猿鬼どもも、残らず討ち取った。(中略)
猿鬼の亡がらは、大箱(おおばこ)村の川のわきに埋められたが、いろいろとたたりが続いた。そこで、神杉姫が僧の姿になって、十七日間、お経をあげたら、猿鬼は仏となったと。
■猿鬼伝説にまつわるいくつかの地名
能登でよく知られた地名との関連をいくつか例示すると、猿鬼の目に矢が当たったところが「当目」、黒い血が川になって流れたところが「黒川」、血が五十里も流れたというので「五十里(いかり)」、猿鬼がオオバコで手当てをしたのが「大箱」、神々が馬を寄せたところが「駒寄」、神々の休んだところが「神和住(かみわずみ)」、とそれぞれの地名のいわれを言うのだが、うまくできているものだと感心させられる。
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