輪島の民話イメージ画像・粉川寺の金剛像 輪島の民話
輪島の民話・第二話
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第一話/第二話/第三話/第四話/第五話

第2話 粉川のミズシ(河原田地区横地)
お話を始める前に・・・・・
第二話にゆかりの場所をご紹介します。
 輪島から穴水へ向かう主要幹線道1号線の途中に横地集落があり、河原田川を跨ぐ橋がかかっている。その橋のたもとから川沿いに左折したところに「粉川寺」(こかわじ)がある。その参道への上り口の前の淵が「粉川淵」である。写真1がそれで、写真の中央の森のなかに粉川寺がある。写真2は粉川寺の本堂で、その両側に仁王さんが配されている。粉川寺は能登国三十三観音札所の三十一番で、かつて能登の各地を巡っていた泰澄上人が建立されたと伝える。

 写真3からわかるように、同寺には輪島市指定民俗文化財である「親子とミズシの図額」があり、地元に伝わる「ミズシ伝説」と毎年元日の「つと流し」の行事にまつわるめずらしい絵馬である。

 以下は、そのミズシ(河童)の話である。(*出典;「輪島の民話、p.54」)

↓<写真1>河原田川の「粉川淵」と粉川寺参道入り口付近
<写真1>河原田川の「粉川淵」と粉川寺参道入り口付近
↓<写真2>粉川寺本堂
<写真2>粉川寺本堂
↓<写真3>粉川寺本堂に掲げられた看板
<写真3>粉川寺本堂に掲げられた看板
■第二話/粉川のミズシ

 粉川の観音様の下に、今はないけどサブクロて家があったてが、そこにチンコかなんか馬がおって、夜さり、河原田川の淵に出ておった。そしたらミズシや馬のしっぽをひっぱったげ。馬やびっくりして走ったところ、ミズシやつながったままあがってきたげ。家のもんやさわぎに気が付いて出てみると、「どうか、助けてください。わたしゃ、ここの淵に住んどるミズシで、兄弟三人でおるげわいね」と言うたと。

 そこで、今でも正月になると、玄米と糀とをまぜたもんをつとに入れて

「ひとつは粉川淵、ひとつは亀淵(かめふち)、ひとつは杉平淵(すぎひらぶち)!」て、ほうると、くるくるともうてて話や。

 もうひとつ粉川寺の仁王像にまつわる話を紹介しよう。(*出典;「輪島の民話、p.55」) 後掲の写真4はその仁王像で、本堂に向かって右手に立つ「阿像」である。

↓<写真4>粉川寺の金剛像(阿像)
<写真4>粉川寺の金剛像(阿像)
■粉川寺の仁王の話

 小伊勢(おいせ)のハンザエモンて人が、粉川の仁王さんの力を借りるがに、願掛けして通(かよ)たと。

 そうして力を借りてからというもの「自分だけ偉いもんや、おらん」と言うぐらいがんばってやったそうな。ところが、仁王さんに借りた力をなさなんだもんなら、倒れて死んでしもたげと。そしたら仁王さんもこわれてしもたて。

 今、一方だけ修繕してあるのは、そういうわけなんだと。

(第2話おわり)