■第一話/八百比丘尼の話
昔、別所谷の神明の小万淵(こまんぶち)には、大きな岩があって、その岩陰に大きな洞穴があったと。・・そこの岩くつのうらにムジナが住んどったと。村の人達は、そのムジナと仲良くしていて、何かある時にはそこから家具を借りたりしていたが、ある人が借りたもんをひとつ返さなかったもんで貸してくれんがになったてげ。
そのムジナが、頼母子をはじめたそうや。・・
谷左衛門も、べション谷の人に誘われて頼母子に入ったといね。岩くつの前へ行くと、ムジナや出てきて、頭から黒い頭巾をかぶせてあたりを見せんようにしながら、背中におうては内にいれたてげね。
内は座敷になっていて、頼母子も終りになるとご膳が出たて。宴会がたけなわになってからムジナが「もう一品料理を出すさかい」と言うて、料とったてげ。・・
そこへムジナや、珍しい料理をいっぱい持ってきて「これは、海人魚とか海人貝とかという品をごっそしてあるげやけど、この一品だけは家へ帰る際(きわ)に川へ流してくれ」と言うたてげね。・・
ところが谷左衛門は、みんなが途中で捨てたがやて捨てんと、家まで持って帰ったがやと。家の庭まで来て、そのことに気がついたがらしいげ。
「ああ、ほうらんならんが、家へ持ってきたわいや。子供に食われりゃ、どもならん」とて、アマへ上るはしごにつっておいたと。
家には十八歳になる娘がおったげが、「ゆんべ、頼母子に行ってきたが、何ごっつお持ってきたか」と、それをおろして食てしもたてげ。
それが死なれん薬やったがか、その後、娘は百歳になると食べたときの十八歳に戻って、どんだけたっても死ななんだげと。・・やがて村に帰っても、知る人も無くなり、尼さまになったので、村人は「白比丘尼」と呼ぶようになったそうや。
白比丘尼は、死なれんがを恥ずかしがって、あっち行ったり、こっち行ったりもうてまわったと。その間、その土地で、いろんな木を植えて歩いたてね。河井のお宮の前にも「比丘尼の松」やあったといね。
それから一回家へ戻って、しまいには若狭の国へ行ったげと。・・何百年も生きたから、雲行きみとっては天気をあてたので、漁師らの神様になったてげ。
やがて、八百年以上も生きたので、村のもんは「八百比丘尼」とも呼ぶようになったと。
(以下略)
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